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● 2010/03/09●
先日の二次面接のことをもう少し。
履歴書の趣味の欄には「読書」と書いておきました。
趣味に「読書」や「音楽鑑賞」と書くのは、無趣味と書いていることと同じである、
と何かで見聞きしたことがあったので、「読書(年間100冊)」と書いておきました。
それについて、面接官であるボスから「けっこう読んでますね」と言われました。
「好きな作家を教えてください」と言われ、さて誰と答えようか。
昨年と一昨年に限ってのことですが、年間120冊程度読んだのであれこれと好きな作家もいて、
けれどあまり名の知られてない人よりも有名どころをまず答えて、
と頭の中でぐりぐり考えている最中に、
「東野圭吾さん以外で教えてください」とボスに言われてビックリしました。
東野圭吾さんと答えれば良いってもんじゃないよ、という意味だったのかどうかはわかりませんが、
そんな風に言われる東野圭吾さんってすごいな!!!
それだけこういう場で東野圭吾さんの名が出るってことでしょうか。
なので「伊坂幸太郎さんもダメですかね?」と聞いてみたら
笑いながら、「あー、以外がいいですねー」と言われました。
本当に本を読んでいる人かどうかのチェックでしょうか!!
なので、「万城目学さん」と答えてみました。
前に日記でも書いたことがありますが、わたしは万城目学さんの「プリンセス・トヨトミ」が大好きなんです。
なので言ってみたら、「ほう!聞いたことないですねー、代表作は?」
と嬉しそうにわたしの履歴書にメモってました。
もしかしたら、ボスも本が好きな人なのかも。
「映画、鴨川ホルモーの原作者です」と言ったら、
「あーーー!!はいはい!!」とも言ってました。
「他には?」と聞かれたので、「山崎ナオコーラさん」と答えたのですが
答えてる最中に、しまったしくじった、と思いました。
その流れで行くと「代表作は?」と言われるに決まってるからです。
いろいろと好きな作品はあるのですが、やはり代表作と言われると・・。
しょうがないので思いきって「人のセックスを笑うな、ですね」と答えると
ボスは「はいはい!映画見ましたよーー!」と言ってくれて助かりました。
映画知ってる人で良かった・・。
面談では普通出てこないような単語を盛り込んでしまったせいで、
もう一人の面接官は、明らかにビックリした顔をしてました!!
誰も映画を見ていなかったら、変な空気になったんじゃないかな・・。
「この人何を言いだしたんだ!」って感じで。
チラっと見たら、わたしの履歴書に、「まきめまなぶ、山崎なおこーら」
とメモられていました。ひらがな。
ボス、もしかしてほんとにオススメが聞きたかっただけなのかもしれない・・。
昨年と一昨年は、本当に何かに取り憑かれたように、猛烈に読書していたのですが、
今年に入って、仕事探ししなくちゃいけないので封印していたのです。
それどころではない、という思いから、読んでいても入っていけないことも多くて、
今年に入ってからは一冊も読んでないや。図書館も行ってないし。
仕事が決まったので、読書再開しようかなーと思ってます。
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● 2010/03/08●
何しろ数年ぶりの仕事探しだったので、ずいぶんとお騒がせしましたが、
二次面接を無事突破し、仕事をいただけることとなりました。
サクラサク。
応援してくれた方、心配してくれた方、コメントをくれた方
メッセージをくれた方、遠くで見守っていてくれた方、
本当にありがとうございます。心から感謝します!!
二次面接では、わたしのリーダーとなる方と、そのボスとで一時間に渡り話をしました。
一時間ってめっちゃ長い!!
一次面接では思ったように「自分プレゼン」できずに終わりましたが、
反省・後悔していたことを、今回に活かせて良かったです。
いろいろ紙にリストアップしておき、途中でその紙を広げて
チェックしながら進めました(この方法ってアリ!?)。
「アピールしたいことを書いてきたので、出してもいいですか」
と聞いて、笑われました。笑いもとった!(違う?)
ボスがものすごく細かく履歴書をチェックしてドキドキしました。
高校では何をしていたかまで聞かれたし(危うく忘れましたと言いそうに)、
一つ一つの職歴についての質問、何をしていたかはもちろん、なぜ入社したか、なぜ退社したか。
空白の期間は何をしていたか、何を考えていたか(忘れましたけど!!)。
人と話すことは好きなわたしですが、こういう場ではうまく喋れず、
基本的に口を「い」の形にして(口角上げとけば良いかと思って)静かにしていることが多いのですが、
あまりにもいろいろ聞かれるので、口をパクパクあけて喋りました。
み、水をください!!喉がカラカラですーーー!!
実は一年前から好きだったことをチラっと告白して、ボスにまんざらでもない顔をされました。
あとは、出版業界の今後や、旅行業界の今後について、思っていることを述べさせられました。
知りまへんがな、と思いつつ、もっともらしいようなことを、こねくり回して、
意味不明仕立てで答えておきました(おそらく白目になっていたはず)。
とにかく、全てのことをやる気と情熱でカバーしたというより、ねじ伏せたという感じ。
またしても採用者にのみ「明日19時までに電話連絡」と言われました。
前回と違って、ものすごく達成感。
もし不採用だったら来年も受けようと思っていましたが、
今回不採用だったら、もう諦めようと思ってました。
来年、今以上の自分プレゼンができるようになっているとは到底思えないし、
無職歴が1年延びるだけで、今年受からなければ永遠に受からないと思えたから。
清々しい気持ちで帰宅して、のんびりしていたら、
早速採用の電話がかかってきてビックリしました。
他にも候補者が何人かいたのですが、
業務委託なので、もしかしたらわたし以外にもたくさん採用者がいたのかもしれません。
あまりの嬉しさにちょっと涙が。
そういえば、お正月に大吉を引いたんだった!
諏訪大社方面に向かって(適当に)、手を合わせました。
今回決まったお仕事は、ある旅行雑誌の営業制作。
県内の温泉街や旅館やホテルを回って、雑誌掲載の営業をする。
雑誌掲載が決まれば、お宿に取材し、宿泊プランなどを一緒に考え、原稿執筆。
必要に応じて写真撮影をし、レイアウト指示書を制作。
場合によってはDTP制作まで。
という仕事です。
業務委託なので、出社は月に2回の打ち合わせのみ。
出来高制での報酬です(基本給というものはあります)。
しかも半年契約です。
業績によって、更新するか決めるそう。怖い!!
しばらくはこの仕事に専念するつもりです!
自分がやりたいと思っていた仕事が、まさか長野でできるようになるとは。
長野県をアピールする仕事を、まさかわたしがするとは。
始まってみないとわかりませんが、楽しんでできればいいなと思ってます!!
4月からニートだと思っていたので、本当に嬉しい。
みなさん、ありがとう!!!取り急ぎご報告まで。
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● 2010/03/04●
サクラは散ってはいませんでした!!
小さなつぼみがぶら下がっていました!!!
なんと、選考から落ちたと思っていたら、
二次面接の案内の電話がかかってきました!!!!
ひぃーーーーーー!!!
やったーーーーー!!!
もう完全にダメだと思っていたので(日記も書いたし)、本当にビックリしました。
週末に二次面接をしてもらえることになりました。
前回の面接ではアピール不足だったことを
もう一度話すチャンスを与えてもらえて、本当に感謝しています。
今度こそ、しっかりやってきます!!
今回落ちたと思いこんでいたので、来年また受けるにしても
4月からどうやって「仕事」と関わっていけばいいのかと、悶々としてました。
前にも書いたことがありますが、わたしの住む地は山村なので
会社や店舗というものの数が圧倒的に少なく、雇用が発生しない地域なのです。
(その分人口も少ないけどね)
この地域に住む母親たちの仕事は、公務員・自営業・内職、のどれかです。
ほぼそれに当てはまる。
会社員も全くいないわけではないけど。
あと、季節限定で野菜の収穫とか、温泉勤務とか。
数少ないコンビニやスーパーで働いている人は、羨望のまなざしを受けることになる。
このご時世、全国どこにいても働くことは難しいわけですが、
この地では、不景気とはあまり関係なく、働くことが難しい。
わたしもこの先どうやって働けばいいのか、本当に悩むところでして。
わたしはSOHOとしてやっていきたいのですが、
大きな柱となるような仕事がほしいと思っていたところだったのです。
天から降ってきたチャンスを必ずつかまえてきます!!
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● 2010/03/03●
サクラチル。
先日、出版社の業務委託の選考会に行ってきました。
3日以内に合格者のみ電話連絡、ということでしたが、わたしの電話は鳴らずじまいで3日経ちました。
今日で4日目。
果報は寝て待て。と言いますが、わたしはどうしてもそういうことができず、
果報はスクワットして待つ。
それどころか、果報を追い回して逃げられるタイプ!
あるかどうかもわからない電話をじっと待つという、とても苦痛な3日間でした。
「はぁ」「ふぅ」「もう!」「きーーーー!!」
と言いながら、ジタバタジタバタして過ごしました。
コタに「げぇ出そう?」と心配されました。(先日のおう吐合戦の影響)
じっとしていられず、あちこちにグズグズしたメールを投げ飛ばしました。
こんなわたしにおつき合いしていただいて、本当にありがとう。
母、妹、友だち、本当に感謝しています。
今回の求人は、実はちょうど1年前にも出会っていて、
そのときに「ぜひこの仕事がしたい!」と思ったんですが、
まだコタは2歳だったし、保育園に入れる踏ん切りがつかず。
悩んだ末に求人を見送ったのですが、
そのあとすぐに、コタが熱性けいれんで救急車で運ばれるという騒動があり、
やっぱり仕事なんて始められない!と強く思ったのでした。
そして今年も同じ求人を見つけ、これだ!!と。
これはわたしの天職になるに違いない。そして長野県も好きになれる!
と思ったのです。
言うなれば、1年越しの恋みたいなもんで。
去年のバレンタインには告白できなかったけれど、今年はがんばる!みたいな感じで。
そんなわけだったのですが、告白はしたけれど、あまりうまくいかず、
愛しいあの人からの電話を待ちわびたのですが、残念ながら、応えてはもらえませんでした。
今回の面接を振り返ってみて、細かいところでいろいろな後悔があります。
あのときあぁ言えばよかったこう言えばよかった、がいっぱいある。
だけど、そう言ったからといって結果が変わったかといえば、そうではないような気がする。
それから、当日に記入する応募者カードの質問にはものすごく正直に記入しました。
例えば「勤務可能時間帯」には、夕方は不可にした。
書いたら不利かな、と思うことも正直に申告した。
選考に有利にするためにもっと書きようがあったかもしれませんが、
うちはたっちゃんの両親もがっつりと働いているので、育児については戦力外で、あてにはできないし、
もし今回みたいに病気になって保育園を休むことになったとしたら
わたしはどうしても仕事ができなくなってしまうわけで。
選考に有利だからといって、ムリなことを申告して採用にこぎつけたとしても
結局後から自分の首をしめることになるし。
倍率も高かったし、選考から落ちた理由はどこにあるかわかりませんが。
しょうがないな、と思いました。
が、来年も受けようと思ってます(どうやら毎年4月に求人を出すみたい)。
来年になればコタも落ち着いて保育園に行っているだろうし、もっと働ける状況になっているはず。
それで落ちたら、それはもうわたしにはムリだということだし。
そしたらあきらめましょう。
一瞬ものすごく落ち込んで、これはしばらく落ち込みそうだと思ったのですが、
今は意外にもさばっとしています。しゅんとしている程度。
残念でならないし、小さい後悔は山のようにあるけれど
それはそれで、そのときの精一杯だったのだし。
大好きな人にフラれたみたいな感じ。失恋。
来年またリベンジするとしても、それまで何をして過ごそうか。
来年だってうまくいく可能性が高くはないのだし。
働くって、大変だなー。最近つくづく思います。勤労に感謝。
大本命はつれないなーー。
好きになってもらうにはどうすればいいんだろうかーー。
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● 2010/03/01●
数年ぶりに、履歴書を書きました。
この4月からコタ(3歳)が保育園に入園することが決まり、
わたしもいよいよ仕事モードにシフトチェンジしていきます。
今回は、ある出版社の雑誌制作(業務委託)の説明会・選考会に行ってきました。
履歴書について、
「こんな紙切れ一枚で、オレという人間を判断されたくねぇ!」
とか言う人がいますが、
履歴書って、かなり「その人」が出るような気がするなー。
と、完成した自分の履歴書を見て思いました。
何と花のない経歴か。
自分の生き様や、優柔不断さや、落ち着かない感じが
紙切れ一枚にぎゅっと凝縮されているような気さえしました。
また手書きっていうのがね、何とも「その人」を出す気がする。
履歴書というのは、自分を売り込むためのプレゼン資料ですね。
軽井沢まで行って来ました。
説明会を聞いて、この仕事がしたい!!と強く思いました。
筆記テストの難しさにはビックリしました。
よくある知能テストみたいなやつかと思っていたら、えらい難しい国語のテストでした。
「問題数が多いので、わからないところは飛ばしていった方がいいですよ」
とのことだったので、次々に飛ばしましたが、
ページをめくる毎に難易度がアップしているので、最後までざっと見て、最初に戻って書き進めました。
「言葉」に関する問題と、読解力についての問題。
論文を読むんですが、焦っているせいもあってか、
内容が脳みそに染みていかない感じ、脳みその表面をつるつる滑って何も掴めない。
何度読み返しても、よくわからない。
テーマは、アメリカの憲法と大統領の権限について。
ヘルプミー、オバマ!!
A〜Fまでの選択肢があって、マークシートを塗りつぶすのですが、
わからなかったら「B」を選ぶこと、と決めました。
なぜならば、B型だからです!!
出来上がったマークシートを見て、その「B」の選択率の高さにビックリしました。
(ほんとにBだと思ったものも含めて、半分ぐらいB)
履歴書とは別に、応募者カードというものを当日記入するのですが、
自分の長所と短所を3つずつ書く、という項目にやたらと時間がかかりました。
わたしの短所といえば、
「イラち(すぐイライラすること)、口が悪い、キレやすい」
の3つが簡単に挙げられますが、そんなこと正直に書いてもしょうがないわけで。
悩みに悩んで、「日本語しか話せない」と書きました。
あとの2つは忘れました。
「朝が弱い」も書いたかも。←どう考えても不利な発言ですね。
選考にマイナスにならない程度の短所の書き方を教えてください。
長所には悩んだ結果、
「明るい、健康、まじめ」
と書きました。吟味に吟味を重ねた結果、バカっぽくなった。
しかも実際には、OPP(お腹ピーピー)でしたけど。
応募者は50人弱で、採用は1〜2人程度だそうです。倍率が・・。
わたしは3番目に面接を受けたのですが、わたしより先に面接を受けた2人が、
面接中にえらく笑い声が聞こえてきてドキドキしました。笑いをとらなきゃいかんのか・・。
パーテーションで区切ったすぐそこで面接をしているので、
話している内容までは聞こえないものの、笑い声がよく聞こえる。
わたしは、特に笑いを提供できずに終わりました。
席に戻って帰り支度をしていたら、4番目の人もすごく笑い声が聞こえてきてた。
でもよく考えたら聞こえてくるのは女性の笑い声だけで、
面接官は2人とも男性なので、応募者だけが笑っているということか。
何かもやもやとしました。
面接中に、何をそんなに笑うことがあるんだろうか・・。
ものすごくやりたい仕事だったのだけど、うまくそれがアピールできずに終わったような気がする。
自分プレゼンに失敗しました。
もう一度面接をやり直したいです・・・。時既に遅し。
3日以内に電話がなければ、ご縁がなかったということで。とのこと。
3日間は、片想いの人からの電話を待つように、
熱いため息をつきながらケータイを握りしめていようと思います。
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● 2010/02/26●
さて、先日の胃腸炎風邪とやらから、相変わらずOPP(お腹ピーピー)なヤマザキ家ですが、
ナツ(7歳)はすっかり元気になって、早速学校に行きました。
やっぱり小学生ぐらいになると、体力がつくのかな。
ナツも小さい頃は、何かとすぐ風邪をひいたり、熱を出したり、
ちょっと体が弱いのかなーと心配したのですが。
コタ(3歳)もそのうち丈夫になるといいな。
別に病弱ってこともないけどさ。
昨日は学校を休んだものの、もうすっかり元気なナツは、家で退屈で。
今日も念のため休ませようと思ったら、泣いて抵抗されました。
何でそんなに学校に行きたいのかとビックリしたら、
その理由は、ソフト麺でした。やっぱりか!!
今日の献立によると、ごまみそソースうどん。
「這いつくばってでも行くから!」
とナツに言われました。そ、そこまで食べたいのか・・。
いつもより少し遅く起きたナツは、ソフト麺に向かって走って登校しました。元気者。
コタはというと、イマイチ調子が出ないようで、大人しくしています。
先日、コタとわたしのおう吐合戦のとき、コタにうがいをさせて
コタが吐いたモノを片付けていたら、コタがわんわんと泣きながら何事か必死に言っているので、
「何?何って?」とよく聞いてみたら
「ママ、コタのこと大好きで、ありがとう。コタのこと大事で、ありがとうな」
と言っているのでした。
しゃくり上げながら必死で言っているのを聞いて、泣けました。
涙の抱擁をしたあと、またトイレに駆け込みました。げぇー。
日頃はやんちゃ過ぎて、もうどうやって導いていったらいいのか途方に暮れることも多々あるんですが、
たまにこういう可愛いことを言われると、がんばっていこう、と思えます。
日頃元気な人がしょんぼりしていると、さみしいわ。
早くそこそこ元気になってほしいです。
そこそこで良いですけど。
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● 2010/02/25●
巷で流行っているウィルスにやられて寝込んでいました。
(食事中の方は、読むのをやめた方がいいですよ☆)
月曜日の午後、昼寝中のコタ(3歳)が突然おう吐。
そこから全てが始まりました。
すぐさま病院へ。ノロとかロタなどではなく、そういう風邪と診断される。
うつるのでくれぐれも気を付けてください、と言われる。
車の中でも何度もおう吐。いろいろ悲しい・・。
帰宅してコタのお世話をしていたら、わたしおう吐。
ぎゃっ!うつるの早っ!!
そこから先はもう大変な騒ぎですよ。
わたしはトイレから出られないし、コタは部屋のあちこちで吐いているし。
トイレとリビングを何往復したことか。
コタの吐瀉物で汚れた布団やカーペットや洋服を、とりあえず風呂場に放り込む。
まさに臭いモノに蓋をして、なかったことに。
これ以上の被害拡大を防ぐため、学校から帰宅したナツ(7歳)を、義母に迎えに来てもらう。
薬でコタが落ち着いたものの、わたしがダメでトイレにこもる。
わたしがトイレにいる間にコタに何事かあってはいけないので
トイレとリビングで声をかけ合う。「コター」「ママー」
わたしは夜になってぐんぐん熱が上がり、39.5度まで。
翌日になり熱が下がり、コタも落ち着いてきたと思いきや、コタ発熱。
ナツは2日間、義母の家から学校に通う。
水曜日になりわたしもコタも元気になってきたところ、義母がおう吐。
やっぱりうつったかー!
うちにナツの着替えを取りに来たり、食料を運んでくれたりしてたから。
義母は本当にわたしの言うことをこれっぽっちも聞き入れない人で、
とにかく感染力が強いからコタに近寄るな、というのに
コタを抱っこしたりしてたからなー。
わたしもそのときはぐったりしていて、コタは吐いて汚れた服をまだ着替えないでいたのです。
吐瀉物から感染することは、今どき一般常識だと思うのですが!!
「わたしは丈夫だから!」などと言ってた義母。
まるでわたしが丈夫じゃないみたいやないか!!
その日からナツを自宅に帰らせて、今のところナツだけでも元気で良かったなと思っていたら、
夜中になって、ナツおう吐。
おう吐一家です。
ヤマザキ家、バタバタと撃沈。
唯一の救いは、ナツとコタが同時じゃなかったことか。
残るは、たっちゃん一人。ウィルスから逃げ回っています。
わたしが触るところ触るところ、付いて回って、消毒のスプレーをかけて歩いています。
ちょっと気ぃ悪いわ!!
従来から潔癖症の気があるので、こういうときにはちょうど良いんじゃないでしょうか。
子どもがおう吐系の病気にかかると、後始末が大変で泣きたくなります。
大人はある程度コントロールできますが、子どもは容赦ないからなー。
カーペットや布団などの大物も切ないけど、車・・。どないしよ・・。
世間でものすごーーく流行っているらしいので、みなさまくれぐれも気を付けてください。
すさまじいほどの感染力です。なめちゃーいけません。
子どもが具合悪いのって本当に大変ですが、
自分が具合悪いと子どものお世話ができないので、それもそれで大変です。
こういうとき、どうしたら良いんやろう・・。
子育てで誰もが通る道なんですかね・・。
ヤマザキ家は、おう吐一家を卒業して、今はOPP(おなかピーピー)一家です。
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● 2010/02/21●
この2月で、長野に引っ越してきて丸5年が経ちました。
自分の地元(滋賀県)以外では、東京で5年間暮らしたことがあります。
東京での5年と、長野での5年は、とても同じ期間とは思えないくらい違う。
どっちが長いとか短いとか、そういう問題ではなく。
自ら求めて行った地と、渋々行った地の違いでしょうか。
長野に引っ越してきてしばらくは、あまりの合わなさに、辛くてしょうがなった。
環境の違いや、文化の違い。言葉の違いや、食の違い。
たっちゃんの両親や姉弟との同居が辛かったというのもありますが。
一番しんどかったときに、友だちから
「どこで暮らしても、結局同じ」だと言われたことがあります。
友だちは、結局自分次第だ、ということが言いたかったのだと思う。
わたしはそれを「なるほど」と思い、住んで都にするしかない、と思った。
便利な方への変化は簡単になじめても、不便な方へなじむのは難しい。
存在して当たり前のものが無いことに、なかなかなじめない。
わたしも田舎出身者ですが、わたしでも、想像を超える田舎でして。
それから、同じ日本人とはいえ、やはり県民性というものはある。
不便なことへの不満と、その県民性と合わないことを嘆き、けれど、自分次第で何とかなると思い、
この土地の良いところを必死で探そうとし、
渋々でも縁があって引っ越してきたこの土地を、どうにか好きになりたいと思っていた。
今思えば、「自分次第」という言葉にがんじがらめになっていたなーと思います。
どんな地でも、自分次第で環境は良くなるし、自分次第で住めば都になる。
そういう風にしなければいけない、そういう風にできる自分はステキだ。
本当に必死で生きてきたなーと思います。
ステキなわたしになりたかったんだねー(遠い目)。
どこの地でも元気に明るく生きていけるわたし、になりたかったんだねー(哀れむ目)。
丸5年経ち、今改めて思うことは、自分次第でどうにかできることにも限度があって、
合う合わないというのは、やっぱりある。
この土地で不便ながらも5年暮らし、自分の居場所を手に入れ、友だちもできたけれど。
引っ越してきた当初の気持ちとはまた全く違う視点で、この土地が好きじゃない。
そりゃ良いところもいくつかはありますが。
どうにもこうにも、やっぱり好きじゃないです。
ぐるっと一周して「やっぱり好きじゃない」にたどり着いてからは、とても気が楽になりました。
好きだと思えるような土地に行く力(いろんな意味での力)
がない自分を、認められなかったんだろうなー。
外国で暮らしている人には笑われるような、ちっこくてしょうもない話ですが。
わたしはやはりこの地が好きではなく、
けれど、引っ越すだけの力を持たず、住んで都にできない、全くステキじゃない自分を、今は認めようと思ってます。
ステキな自分じゃなくてもいいやー。
柔軟性がなく、適応能力に欠け、器の小さい自分。力を持たない自分を許そう。
「落ち込むこともあるけれど、わたし、この街が好きです」
とキキ(魔女の宅急便)のようにお母さんに手紙を書ければ、自分を大好きになれたでしょうが。
「落ち込むことはたいしてないけど、わたし、この街がキライです☆」
と胸を張って言える自分が、今はとても楽です。
別に胸を張る必要もありませんが。
嫌いなものは嫌いでいいのだ。それでいいのだ。
無理して好きになる必要は全然ない。
嫌いなものを好きだと思いこもうとするなんて、不毛な努力だ。
ただ、嘆いて暮らしていても仕方ないので、日々を楽しくする努力はしてます。
どこの地でも元気に明るく生きていけるわたし、にはなれなかったけど、
嫌いな地でふてくされながら、たまにニヤニヤしながら生きているわたしで我慢します。
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● 2010/02/15●
2月、雨の降る中、妹カナの結婚式に出席してきました。

カナと新郎のNくんは、母親同士が高校時代から40年来の親友という間柄。
近くに住んでいたこともあって、小さい頃は遊んだり、一緒に習い事に行ったりしていました。
それがNくんの父親の転勤で一旦は離ればなれになり、長い年月が過ぎましたが、
今から10年前にNくん一家が地元に帰ってきました。
母親同士は、月に2回の食事会と、年に1回の旅行という関係を再開させ、
母親を迎えに行った、カナとNくんが偶然再会。
母親を通じて交際がスタートしました。
その際に、母親二人は、
「若い二人がどんな結末を迎えても、わたしたちの友情は壊れないようにしよう!」
と誓い合ったそうです。
そんな母親の心配をよそに、二人の交際は「山なし谷なし」で穏やかに続き、
3年間の交際を経て、ついに結婚の日を迎えました!!
ありがちなようで、けっこう珍しい出会いだと思うのですが、
そんなわけで、本人たち以上に、母親二人がきゃいきゃいと大盛り上がりしてました。
友情が壊れなくて良かったねーーー!!
ウェルカムボードには、小さい頃に二人で撮った写真(カナ6歳、Nくん8歳)が飾られ、
すごい縁だなーとしみじみした。
生まれて数年で、生涯のパートナーと出会っていたとは。
もちろんわたしも小さい頃のNくんを覚えていますが、まさかこんなことになろうとは!!
一番下の子どもというのはどこの家でもそうなのかもしれませんが、
カナは、両親からはもちろん姉兄にずいぶん可愛がられてホワホワと育ちました。
そんなカナらしい、ほのぼのとしたアットホームな良いお式でした。
結婚式で、あっという間に父が泣いていていました。
Nくんは、男前というのとはちょっと違うかもしれませんが、
とても良い顔をしている。普通の顔が笑い顔というのは、内面が出ている。
長身で、穏やかで優しくて、頭が良くて、仕事ができて、
料理が上手で(元イタリアンのコック)、
自分の親とも仲良しで、その上、歌がうまい。
一緒にカラオケに行ったときに、何者!?とビックリしました。
天は気に入った人間には、二物も三物も与えるのですね。
Nくんは、きっと前世で相当良いことをしたに違いないよ。
前世で100人ぐらい人助けをしたのでしょう。
あまりにも欠点がなさすぎて、
「もしかして寿命が人の半分しかなかったらどうしよう」とカナが心配していました。
「たっちゃんは人の倍ぐらい長生きしそうで、良かったな」とも言ってました。
やかましいわ!!
そんなNくんと巡り会い、生涯のパートナーになれたカナは、
神様のえこひいきとしか思えません。
披露宴の最後に、カナがサプライズで両親への手紙を読むと聞いたときは
誠心誠意、止めました。
わざわざそんな泣きポイントを作ることもないだろうに。
と思っていたのですが、カナがものすごく上手に読んだのでビックリしました。
涙をこらえ、ゆっくりと丁寧に、一番後ろの席に座っている両親の顔を見ながら
読んだので、両親はもちろん親戚一同も号泣。
結婚式で女は女優になるのですね。
弟はムービー班を、わたしは写真班を任されていたので
その任務に必死で、ゆっくりと味わっている暇がなかったのですが、
帰ってから早速ムービーをチェックし、そこで弟と二人、泣きました。
やるなー、カナ!!
妹にはいつでも幸せでいてほしい。それが姉心というものです。
カナ夫婦に幸あれ。
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● 2010/02/08●
2月に入りました。この寒さもあと少しの辛抱。
(長野は5月ぐらいまで寒いけど)
わたしの実家の家族にとって、2月は意味のある月とされています。
人生の転機になるようなことが2月に起こりがち。とされています。
順番に挙げていくと。
・母の誕生日
・父母の結婚
・新居(今の実家)への引っ越し
・わたしの結婚
・わたし一家、長野へ引っ越し
・わたし一家、新居(今の家)へ引っ越し
と、まぁ確かに人生のビッグイベントはたいてい2月に起こっているため
何となく記念日も多くて、バレンタインが霞んでいます(言い訳)。
そんな2月に、また新たな記念日が設立されることとなりました。
妹が結婚します。
ぱんぱかぱ〜ん!!おめでたい。
わたしにとって妹は、6つも下なので、
なんだかいつまでもコドモだと思っているところがある。
一緒に飲んでいても、おいおい!お酒なんて飲んで良いんかいな、と思ってしまう。
一緒に暮らしていたのが、妹が15歳ぐらいまでなので、
いつまでもそれぐらいの年齢で止まってるような気がする。
だから妹が結婚なんて、不思議な気がするなー。
実家に帰ってもいないのかと思うと、とても寂しい。
県内で暮らすから、帰省のたびに会えるけどね。
ナツも、帰省中の朝ご飯は誰が作るんだ、と心配してます。
(いつも妹がナツコタに作ってくれてた)
そんなわけで、ちょっくら祝いに行ってきます!
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● 2010/02/06●
コタ(3歳)の入園決定通知書が届きました!
このあたりは待機児童とは無縁ですので、
仕事をしていなくても、どうにかこうにかねじ込むことができます。
幼稚園が存在しないので、暗黙の了解といえます。
というわけで、コタとわたしの蜜月生活もあと1カ月半で終わりとなります。
長かったようなあっという間だったような。
ナツ(7歳)もコタも同じ7月生まれで、
保育園に入園するまでの3年8カ月を、それぞれとても濃密に過ごしたことになります。
楽しかった日あり、しんどかった日あり。
山あり谷あり。笑いあり涙あり。
コタの入園が決まり、やったーーー!という思いと、少しの寂しい気持ちもあります。
会社を退職してから、8年が過ぎました。
8年かーーー!今数えて、自分でギョッとしました。
無職。専業主婦。
専業主婦といっても、わたしの場合、専業育児といってもいいぐらい。
家事は片手間というか、片足でちょいちょいと。ぐりぐりと。
専業主婦になった理由としては、
子どもを保育園に入れてまでするような仕事を、持っていなかったというのがある。
滋賀県在住時代は、DTPやWEBの仕事を家でちょいちょいやっていたけれど、
長野県に引っ越してきてからは、いろんな意味で仕事どころではなくなり。
今思えば何のことだか思い出せないけれど、
コタの育児が大変で、一日中一緒にいるのがしんどくて
「もう保育園に入れて、仕事を始めようか」と思った時期もありました。
(たぶん2歳の終わりから3歳にかけての時期かな)
けれど、将来、
「あんなに早く入園させなければ良かった」という後悔はあっても、
「もっと早く入園させれば良かった」という後悔はないな、
という確信があって、その確信に沿った、というのもある。
「子どもは3歳までの可愛らしさで、一生分の親孝行をしたことになる」
という言葉を信じているというのもある。
親孝行の真っ最中に手放すのはもったいないな、という思い。
ナツもコタも、それぞれ人並み程度に大変な時期があって
「こんちくしょうめ!」と思って過ごした時期もけっこうありましたが
今となっては、それを乗り越えられて大変満足しています。
器用にバランスを取れる人間じゃないので、
下手に仕事に手を出したら、仕事も育児も満足にできなかったんじゃないかな。
ステキなママさんたちがよく言うセリフとして、
「育児のストレスは仕事で、仕事のストレスは育児で解消しています☆」
わたしは絶対にこうはなれないだろうな、と。
逆に、どっちもがどっちもへのストレスとなる。
仕事にも育児にもイライラしてカリカリしてる自分が、目に浮かぶ・・。
じっくりと育児に専念できて、夫のタツアキ殿に対しては深く感謝をしております。
三つ子の魂百まで、が本当ならば、ナツコタの魂に全責任を負います!!
コタとの、だらだらまったり時間を、あと少し楽しもうと思ってます。
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● 2010/02/05●
先日、ナツ(小1)が学校から帰宅し、しくしくと泣き出しました。
何事かとビックリしたのですが、友だちとトラブル発生の様子。
『あしたからずっと、もう学校休む』
と言って、しばらく泣きました。
落ち着いて話を聞いてみると、まぁよくある感じの友だちとのケンカ。
『そういうわけやから、わたしもう小学校卒業するから』
とのこと。
1年生で卒業とは!
『あしたから家のこともやるし、コタの面倒も見るから。だから休ませて!』
とのこと。
さて何と言葉をかけようかと思いつつ、ふむふむ、と聞いていると、
突然ナツが立ち上がり、壁に貼ってある給食の献立表を見て、
『あーー!あかん!あしたはソフト麺やから、あしただけ行くわ。
あーー!あかん!あさってはカレーやから、あさっても行くわ』
というわけで、翌日ソフト麺目的で元気に登校し、
友だちと仲直りできたようで、その後も元気に行ってます。
良かった。給食に救われた!
ナツの頭の中は、「友だちとのケンカ < ソフト麺」だったようです。
ソフト麺で相殺できる程度のトラブルで良かった。
さて、給食。
わたしが小中学生の頃は、主食としては、コッペパンか白飯、たまにソフト麺。
わかめご飯の日はめっちゃ嬉しい!!
という感じだったと思うのですが、今どきの給食は、とても華やかです。
コッペパンや白飯は、月に2回ずつ程度しか登場しません。
パン:アーモンドトースト、メロンパン、小豆パン など
ご飯:ソースカツ丼、野沢菜ちらし寿司、ひじきご飯、麦ご飯 など
麺類:しょうゆラーメン、中華麺、きのこクリームパスタ など
節分には恵方巻きが出て、カレーの日はナンが付きます!!!
贅沢!!
それ以外にも、『希望給食』というものがあり、
今日は○年○組のリクエストです!というスペシャルデイも週に1回あります。
(ナツの小学校は、給食センターからの配達じゃなくて自校給食です)
給食参観というものに参加したことがありますが、それはそれはおいしかった。
1食250円。
わたしとコタもお箸を持って、毎日忍び込みたいぐらいです。
ちなみに今日の献立は
・フィッシュバーガー(カジキフライタルタルソース、生野菜)
・春キャベツのスープ
・ツナとほうれん草のごまあえ
・いちご
です。カフェのランチか!!
ナツは『よっしゃ☆』とガッツポーズを作って、出ていきました。
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● 2010/02/04●
立春だというのに、この寒さ。
先日アップルが、タブレット型 Mac(ipad)の発売を発表しましたね。
アップルの公式ページ http://www.apple.com/jp/ipad/
たっちゃんが以前から、
『iphoneをもっとデカくしたようなパソコンが欲しい』
と言ってたのですが、ipadがまさにソレじゃないでしょうか!
なんかデカすぎるような気がするんですが、どうだろう。
実物見ないことには何とも・・。あまりピンとこないけど。
どうやって使うの?
ヒザに乗せて使うの?
一応その発表を待ってから、と思っていましたが、
わたしもいよいよMacを新調することにします。
今使ってるのは、もう8年ぐらい前に買ったもの。ノート型のMacです。
思いっきり私物化していますが、実はこれは独身時代にたっちゃんが買ったものです。
結婚した途端に奪ってやりました。
ていうか、たっちゃん全然使ってなかったからね。
メールアドレスすら取得してない状態で放置されていたような気がする。
もちろん何のデータもなかったし。
事実上わたしのMacですが、所有権でいうと、たっちゃんのモノなので
このMacのことを『たっちゃんのMac』と呼んでいます。
でもたっちゃんが勝手に使うと怒ります。
プライバシーの侵害!と叫びます。
DV夫!と罵ります(違う)。
『たっちゃんのMac』というのは、あくまでも名称ですので。
あと、『たっちゃんのパソコン』という名称のWindowsも一台あります。
こちらは義父からもらったものですので、たっちゃんが使っても怒りません。
ご自由にどうぞ!!
もちろんわたしも使います。
このたっちゃんのMacは、わたしの相棒として、本当によくやってくれました。
自分のWEBサイトを作ったし、仕事もしたし。
今のモノほど丸くなくて、スタイリッシュで、とても気に入ってます。
が、『X』のキーボードが取れてます。
なのでカットができません(コツをつかめばできるけど)。
また自分で仕事をするにあたり、新しい相棒を手に入れることにしました。
いろいろソフトなども新調したいし!!
やっぱり次もMacです。
今度こそ、正真正銘、わたしのMacです。
たぶん、iMacかな。
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● 2010/02/02●
振りましたね。振りましたか?
こちらはドカンと振りました。
結婚して以来、というか出産して以来しなくなったことといえば、
男友だちと会うことです。
わたしの場合、元々女友だちと比べて男友だちの数が圧倒的に少ないというのもありますが。
共通の場所と共通の時間帯がない、というのが疎遠の原因のような気がします。
女友だちの場合、結婚して出産した者同士、生活スタイルが似てくる。
自由にできる時間帯などもだいたい同じで、都合がつきやすい。
また、独身の友だちの場合は、相手の仕事が休みの日の昼間に会ったり。
何かとこちらの都合に合わせてもらえることが多い。
それが男友だちとなると、昼間に自宅に招いてお茶でも、という感じでもないし。
子どもがいると、夜も独身時代のように自由に出歩けるわけではない。
そんなわけで、現在『友だち』と呼べるような男性はほんの数人しかいないわたしですが、
今日ものすごく珍しく、男友だちが遊びに来てくれました。
上田駅で待ち合わせて、コタと3人でランチしました。
5〜6年ぶりぐらいの再会(曖昧)。
お蕎麦をすすりながら、お互いの『これから』について話しました。
『これから』の話は良いね!!
わくわくします。
滅多に会う機会はないし、次会うときはもしかしたらまた4〜6年後になるかもしれませんが。
また会えればいいなと思います。
遠路はるばるありがとう!とサヨナラしました。
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